箱みかん

どうでも良いことをダラダラと書き散らかしてます。

わ~スゴイ


コチラで紹介されていたIvo Pogorelichさん演奏、もう、ずーっと聞いていられる。
もう一人の人のは数秒も聞いていられなかった。
同じ作曲家のものでも解釈によってこうも変わるのかとびっくりでした。


>中二病をこじらせて、将来的に作り上げる予定だった「神秘劇」についても、音楽に必要な役者や奏者を育て上げる学校から作りたいなど、ちょっと常識では考えられない考え方をしていました。


とのことだったんですが、私はそれほど現実不可能なことでもないように思ったりも。
例えば、オイリュトミーなどを取り入れている学校は日本も含め、世界中にたくさんあると思うんですが、そういった裾野から文化が上手に広まっていける国でなら可能なことなんじゃないかという気がしました。
キリスト教系の神学校もたくさんあるし、そんなところからでも。
少年野球と同じで子供の頃から慣れ親しむ人口が広がるとプロも育っていくみたいな?!
神秘劇界の強豪校が出来上がる感じ?!
この本を読んだことがあるわけでもないし、詳しくもないのでなんとなくの感ですけれどね。


神智学に傾倒する人の印象に感情的なことを計算に入れずに人や物事を観察していく哲学があるというのが私の持っているイメージです。
違う解釈の人もたくさんいるかもしれないですが、哲学的な人の頭脳は感情論ではなくロジカルだと思う。
それだけに、間違った方向へ進むと思いっきり遠くまで早く到達してしまう。
正しい方向への影響力も同じように速いペースですごいところまで到達できるメリットもある。
その結果として現状の社会常識では考えられないような発想が出るという面もあると思います。
そういった天才たちがミスしやすい状態というのは感情的になった時。
なので、少しでも感情的になっているのを見られれば、その時に「抒情的だ」と指摘されたりする日常があるという事なんだと思います。
スクリャービンさんの考え方が常に抒情的だったというよりも、スクリャービンさんが抒情的になった時にサバネーエフさんが注意して上げたことがあったというような感じだったんじゃないかと思いました。


天才は計算が速いし、ストックした計算式をすぐに引き出すこともできてしまう。
結果として難解な音楽を生み出したりすることが可能になっていくんだろうと想像しています。
凡人にめんどくさがられるのが天才なんだろうなと。


私は本当に音楽音痴でどうしょもないんです。
趣味で音楽をやれる人ってうらやましいー。